自分の倫理観の一つを発見した出来事
先日とあることがきっかけで自分の身分を明かさず競合他社のプレゼンを聞くことになりました。
競合他社は当然私とそこに同席していた同僚を見込み客だと思っています。
当初は相手の秘密を探るような気概もありましたが、プレゼンを受けている途中でなにか嫌な気分になっていました。
なぜかということを考えた時に相手の営業マンが必死にこちらサイドに提案してくれているからだと思いました。
まぁ提案してもそれが成約に繋がらないことはいくらでもあることです。
ただ、その低い確率の中でも次こそはと思って提案しているのです。
その気持は日々同じように商談しているので分かります。
それで胸が痛いということになったのでしょう。
おそらく本当に厳しい中で働いている敏腕営業マンにはそういうことにいちいち気を取られてはダメだと思われるかもしれません。
ただ、私の一人の人間としての倫理観としてどうも相手に必死に努力させて罠にはめるようなことが嫌だったのです。
今回の経験で私は自分の性格の一部分が見えた気がします。
それは相手の努力を意図的にふいにするような行動は嫌いということです。
私は小学校の頃から社会人になってからもスポーツで競技を変えつつも戦うということを経験してきました。
その中で試合中にわざと笑顔を見せたり、相手を挑発するような言葉を発して心理的に揺さぶって罠にかけて勝利したこともあります。
ただ、それに関しては何も悪い気はしません。
また、もっとはっきり言えばスポーツの試合の場で相手を打ちのめすこと勝利することは快感とも言えます。
大したレベルではないですがまさに勝利至上主義でした。
しかし、そんな私が今回に関しては嫌な感じがしました。
スポーツにおけるケースと今回のケースの違いを考えてみると、相手を利用しているかどうかというところだと思います。
スポーツの場合は相手を罠にかけても最終的にお互い一つしかない勝者の椅子に座るためのプロセスの中でのことで、勝つための努力はある意味同じベクトルを向いています。
今回のケースは相手と私の会社は戦う関係にありますが、向いているベクトルは異なり、相手を利用してだまし討ちを行った形となります。
人の努力を無にする利用する感じが嫌なのです。
どうせ戦うならお互いがそれぞれのスキルをぶつけ合う方向で頑張ろうと思いました。
もちろんこの考え方は甘いのかもしれないし逆にこれから私が商談する相手で同業他社のスパイがいる可能性もあります。
ただ、自分の倫理観は曲げられないし曲げたくないというのが今回の出来事に対する私の答えです。