オリンピックを見ると感じること
昨年自国開催のオリンピックを終えた日本人の殆どはもう来月開催される冬のオリンピックに興味がないと思います。
東京オリンピックを見たときもですが、オリンピックを見ると選手が羨ましいなと思います。
何故羨ましいかと言うとメダルがほしいとか、才能があって羨ましいとかそういうわけではないです。
オリンピックを見ていて一番選手が羨ましいと思うのは勝っても負けても選手が涙を流すところです。
どういう結果になっても涙を流すというのはそれだけオリンピック、競技に賭けていたということです。
どんな結果が出ても涙が出るほど何かに賭ける、必死になれた経験はほとんどの人はないと思います。
私も学生時代や社会人になった後もスポーツはしてきましたが、そこまで賭けたものがないというか、結果が出て涙が出たことはないです。
スポーツ以外でも当然ないです。
昨年の東京オリンピックも来年の北京オリンピックも開催自体に反対する人が多いです。
私もやらなくても良くね?と思っていました。
ただ、選手が必死に戦い涙するシーンを見るとやってくれてよかったと思います。
少なくとも東京オリンピックはそうでした。
北京オリンピックはコロナに加えてチベットの人権問題があるので今回ばかりは純粋にやってくれてよかったとは思わないかもしれませんが、選手が戦う姿は政治問題とは別で美しいものになるでしょう。
必死に一生懸命頑張る人というのはそれだけで魅力があると思います。
昨年の東京オリンピック開会式の前にどこかのテレビ局のアナウンサーが「オリンピックに反対するのを否定しないがそこに向けて一生懸命準備してきた人がいる」という言葉を発し名言だと話題になっていました。
これは選手を見ていてまず感じました。
選手が一生懸命戦う姿を見て、この舞台に上がるためにここで勝つために必死に取り組んできたんだぁと考えると軽々しく中止でいいじゃんとか言うべきでないなと感じたし、選手は開催前に中止のデモ行進のニュースなどを見てどんな気持ちだったのかなと思います。
また、昨年の夏に何故か1週間ほど散歩がマイブームになって芝浦から溜池山王にオリンピック開会式の次の日に歩いたのですが、そこでもオリンピックに関する装飾がどこかにあって選手だけでなくその関係者もこの日のためにやってきたんだなと感じました。
来月のオリンピックは昨年の東京オリンピック以上に純粋に支持することができないオリンピックになると思います。
おそらく日本選手団も参加はするでしょうが、競技を楽しむことと政治的な批判は分けて考えたいと思います。
まただからこそ問題のある国が大金を払っても開催国の権利を簡単に与えてはいけないと思いました。