ギョグゼギボビビビ

頭の中で考えて行き先がないものを置いていくブログです

運が良いということについて本気出して考えてみた

突然ですが私は運が良いと思います。

人より優れているものは?と聞かれたら身長の高さ(184センチ)と運の良さと答えます。

逆に運が良すぎて若いうちに運を使い果たし、辛い老後を過ごすことにならないかとビクビクしています。

 

運が良いと言いましたが、今思い返してみると自分の人生すべてうまくいっていたとも思いません。

小学校のときには数ヶ月ですがいじめにあったこともあるし、高校時代は人間関係に苦しみました。

第一志望していた大学には受からなかったし、大学生活で楽しみにしていたサークル活動は変なところに入ってしまったし、仕事では一番嫌いな上司に限って全然異動しませんでした。

 

この自分に起きた嫌なことを書いている時はとても気分が悪かったです。

あくまで自分の感覚で運がいい人というのはいつまでも被害者でいない人のことなのではないかと思います。

先程挙げた自分に起きた嫌なことはここで書かなければ日常生活の中で一切私の頭の中に出てきません。

逆に常にあの時こんな嫌なことがあったみたいに嫌な記憶が頭の中に残り続けると、それに引っ張られて機嫌はずっと悪いでしょうし、顔つきも悪くなると思います。

そうなれば明るい話題を持ちかけてくる人は近寄ってこないでしょうし、仮に来てくれたとしてもすぐに離れていくでしょう。

 

あとは自分の思うような状態でない時にどれだけ動けるかも大切だと思います。

私の場合、大学入学後入ったサークルが変なサークルでクソだと思っていましたが、辞めて格闘技とアルバイトを初めてから一気に好転したことがあります。

アルバイトの先輩には人生において色々学ばせてもらえたし、格闘技では自分に自信がついたことと私に熱心に教えてくれたトレーナーとの良い出会いもありました。

大学は大阪の大学でしたが大阪が好きになったのも格闘技とアルバイトを始めてからです。

ただ、私は大学入学前に楽しみにしていたのはサークル活動であって格闘技なんて一切やるつもりはありませんでしたし、アルバイトにも全く期待していませんでした。

あの変なサークルに入ってなかったら多分どちらも巡り合うことはありませんでした。

そういう意味では途中でやめたくなるあの変なサークルに入って私は良かったと思っています。

こうなると私は運がいいのか悪いのかわかりません。

 

ちなみに同じ時期にサークルを辞めた同級生の忘れられない一言で「あのサークルに人生狂わされた」という言葉がありました。

ちなみにその後もたまに会うことがありますがはっきり言って運は悪いです。

精神を病んでしまったり、プライベートでは離婚もしていました。

被害者意識が強いと運が逃げていく例だと思います。

 

ここまで書いて感じましたが、人生は運ではなく何か起きた時に自分がどうするかということなんだろうと思います。

私が尊敬する落合監督の本に書かれている言葉でとても前向きな良い言葉がありました。

「決して「負け組」ではなく、勝利を目指す途中にいる人」

「勝ち組」なのか「負け組」なのかと自覚することではなく、ただひたすら勝利を目指していくこと。そのプロセスが人生というものなのだろう。

 

運が良い、悪いというのもまさにこの落合監督の言葉に尽きるのではないかと思います。

何か自分にとって嫌な事が起きた時にすべて投げ出すのではなくどうやってそこから勝利を目指すのかそれを大切に明日からまた生きるぞ!