最適なオフィスカジュアルとは
日系大手企業からベンチャーに転職して一つ難しかったのがオフィスカジュアルです。
前職でも昨年度からオフィスカジュアルOKではあったのですが、スーツを着ている人も半分くらいは存在していました。
また、中年のおっさんが多かったのでオフィスカジュアルというよりもただおっさんの私服を見させられているような感じであれをオフィスカジュアルと言って良いのかなんとも言えない部分がありました。
転職してみてスーツを着ている人がほとんどいなくて逆に浮いているのでどこかでカジュアルにしないといけないなとは思っており、先日晴れてカジュアルデビューしました。
と言っても白いTシャツに紺のジャケットなのでラフではないと思います。
オフィスカジュアルについてどういう服装にしたら良いかという議論でよく「◯◯さんはこんな服装で仕事していてあんな服装でも大丈夫なんだと思った」ということを言う人がいますが、これは考え方が違うと思います。
「あんな服装で仕事しても大丈夫なんだと思った」いうのは社内の人に色々言われないかということを意識しているのだと思います。
つまり服装は勤めている会社が基準を決めているという考え方です。
確かにそういう側面はありますが、大事なのは顧客がどう思うかということでしょう。
例えば商談の際にパーカーで出席した時、相手が自分を信用し、サービスを利用しようと思ってもらえるか最優先すべきはそこでしょう。
極端な話、数字が上がればジャージでもスウェットでも文句を言う人はいないと思います。
最優先すべきは受注できるか否かという点で自分の服装を考えるのが最適なオフィスカジュアルだと思います。
なのでカジュアルデビューしたばかりですが、もしスーツで商談に臨んだほうが相手の反応や感触が良いと思えばスーツに戻す予定ですし、それが本来あるべき姿だと思いました。
服装を決めるのは会社ではなく自分です。
それは自由という言葉で表されるでしょうが、責任のある自由ということです。
決意を新たにできた新年会
こんな情勢ですが今日は会社の新年会でした。
新年会ですが8人でソーシャルディスタンスを空けた新年会でした。
なので酒を飲むことより会話がメインなのですが、改めて自分より相当優秀な人が世の中には普通にいるんだってことを実感しました。
TOEICが800点とか海外の企業と普通に商談していたり、ハードワークに励んでいるといった内容です。
今までも自分より頭が良くて優秀な人がいることは認識していましたが、実際に一緒の空間にいる人から優秀な人の話を聞くと身近に超優秀な人がいるんだと実感します。
私は20代を大企業に文句を言いながら寄りかかっていた人間なので、自分より年下で自分より責任のある仕事をしている人が普通にいる今の環境では自己嫌悪に陥ることがあります。
当然入社する時に覚悟していたことですし、自業自得なのですが「俺は何をやっていたんだ」と思うことがあります。
ただ、まだ自分でも良いなと思うのは自分は別にいいんだ、幸せは別にあると思わずにもっとやらないといけないと思えるところです。
それが無くなった時はおそらく東京から去るときでしょう。
もっとやらないといけないと思ったと言っても上司にダメ出しをされたわけではなく、自分がそう感じただけで、会話は楽しかったので自分にとって良い新年会でした。
こういう感情は前職では一切なかった感情です。
やっぱり転職は成功していると思います。
さて、明日から心機一転仕事に励むわけですが、自分の中で大事にしようと思うことがあります。
忘備録のために書いておきます。
まずは顧客の拒否をたくさん経験したセールスマンほど成果を挙げているということです。
これはある本に書いてあったことですが、顧客の拒否を能力向上の経験値だと前向きに考えようと思います。
また、ただ拒否されて終わりではなくどうやって相手を説き伏せて導入してもらうかというところまでできるようにしたいです。
新年会はおそらく年を新たに決意を新たにという意味があると思いますが、そういった意味では生まれてはじめて有意義な新年会だったと思いました。
転職して200件電話して気づいたこと
先月転職して月末あたりから過去の失注ユーザーに架電する業務をやることになりました。
もうおそらく200件ほど電話していると思いますが、あることに気づきました。
それはテレワークの普及率の低さです。
200件電話して在宅ワークなので会社に来ていませんと断られたのはまだ1,2件だけです。
他の会社は外出していたり来客対応、会議出席中などで電話が繋がらない事はあっても会社には来ているということです。
私は前職も現職もテレワーク推奨しているので世間はテレワークが浸透しているものと思っていました。
前職のときは取引先もテレワークが多かったので更にそういう気持ちが強かったです。
前職と現職の一つの大きな違いは取引先の規模になります。
前職は今思えば1,000人規模の企業が多かったです。
そういった企業はやはりテレワークが大半で出社するのがたまにでした。
今の会社で架電しているのは中小企業が多く、そういった企業は出社するのが当たり前なのが今の日本の現実なんだろうと思います。
もちろん政府の責任も少なからずあるとは思いますが、架電した企業とzoomで打ち合わせをすることもあるので決してテレワークできないわけでもないと思います。
どういう意図でテレワークをやらないのかわかりませんが、この実態は架電しなければ気づかないことでした。
自分の周りだけの常識に縛られることの危うさを知ったような気がします。
運が良いということについて本気出して考えてみた
突然ですが私は運が良いと思います。
人より優れているものは?と聞かれたら身長の高さ(184センチ)と運の良さと答えます。
逆に運が良すぎて若いうちに運を使い果たし、辛い老後を過ごすことにならないかとビクビクしています。
運が良いと言いましたが、今思い返してみると自分の人生すべてうまくいっていたとも思いません。
小学校のときには数ヶ月ですがいじめにあったこともあるし、高校時代は人間関係に苦しみました。
第一志望していた大学には受からなかったし、大学生活で楽しみにしていたサークル活動は変なところに入ってしまったし、仕事では一番嫌いな上司に限って全然異動しませんでした。
この自分に起きた嫌なことを書いている時はとても気分が悪かったです。
あくまで自分の感覚で運がいい人というのはいつまでも被害者でいない人のことなのではないかと思います。
先程挙げた自分に起きた嫌なことはここで書かなければ日常生活の中で一切私の頭の中に出てきません。
逆に常にあの時こんな嫌なことがあったみたいに嫌な記憶が頭の中に残り続けると、それに引っ張られて機嫌はずっと悪いでしょうし、顔つきも悪くなると思います。
そうなれば明るい話題を持ちかけてくる人は近寄ってこないでしょうし、仮に来てくれたとしてもすぐに離れていくでしょう。
あとは自分の思うような状態でない時にどれだけ動けるかも大切だと思います。
私の場合、大学入学後入ったサークルが変なサークルでクソだと思っていましたが、辞めて格闘技とアルバイトを初めてから一気に好転したことがあります。
アルバイトの先輩には人生において色々学ばせてもらえたし、格闘技では自分に自信がついたことと私に熱心に教えてくれたトレーナーとの良い出会いもありました。
大学は大阪の大学でしたが大阪が好きになったのも格闘技とアルバイトを始めてからです。
ただ、私は大学入学前に楽しみにしていたのはサークル活動であって格闘技なんて一切やるつもりはありませんでしたし、アルバイトにも全く期待していませんでした。
あの変なサークルに入ってなかったら多分どちらも巡り合うことはありませんでした。
そういう意味では途中でやめたくなるあの変なサークルに入って私は良かったと思っています。
こうなると私は運がいいのか悪いのかわかりません。
ちなみに同じ時期にサークルを辞めた同級生の忘れられない一言で「あのサークルに人生狂わされた」という言葉がありました。
ちなみにその後もたまに会うことがありますがはっきり言って運は悪いです。
精神を病んでしまったり、プライベートでは離婚もしていました。
被害者意識が強いと運が逃げていく例だと思います。
ここまで書いて感じましたが、人生は運ではなく何か起きた時に自分がどうするかということなんだろうと思います。
私が尊敬する落合監督の本に書かれている言葉でとても前向きな良い言葉がありました。
「決して「負け組」ではなく、勝利を目指す途中にいる人」
「勝ち組」なのか「負け組」なのかと自覚することではなく、ただひたすら勝利を目指していくこと。そのプロセスが人生というものなのだろう。
運が良い、悪いというのもまさにこの落合監督の言葉に尽きるのではないかと思います。
何か自分にとって嫌な事が起きた時にすべて投げ出すのではなくどうやってそこから勝利を目指すのかそれを大切に明日からまた生きるぞ!
過去に戻りたいと思うことの危険性
今日は成人式のようですね。
成人式のときのことは覚えてはいるけど特に印象的なことはなかったのですが、日本の20歳というとまだ学生の方が多いと思います。
大学生ならあと2年、専門学生ならあと1年で社会人になると思います。
社会に出ると昔はよかったという人が多いです。
学生時代ではなくても新卒入社後の1ヶ月間の研修が会社人生で最も楽しかったという40歳過ぎの人事部の人もいました。
この話を聞いた時、私は新入社員研修前だったのですがこの会社大丈夫かなと思ったのを思い出します。
だって入社最初のイベントが最も楽しかったってことは入社1ヶ月後以降は研修以下でしかないということです。
過去に戻りたいと思う気持ちは誰でもあると思います。
私は学生時代に戻りたいとは思いませんが、実家で飼っていた犬に会えるのであれば過去に戻りたいという気持ちはあります。
まぁ過去に戻れなくても犬に会えれば何でもいいのですが。。
過去に戻りたい、もっと言えば学生に戻りたいと思うのは危険だと思っています。
社会人になりきれていないとかそういうわけではなく、未来に対して自分で何か働きかけて楽しくする、充実させるということを放棄しているからです。
大学生というのは確かに受験という戦いを勝った末の権利ですが、結局その自由はお上や両親によって与えられたものです。
社会人になったらたしかに大学生のように今日ダルいから授業欠席するとかバイトを無断でバックレるということはできなくなります。
それは学生の感覚で言えば不自由ということになるでしょう。
そしてバイトと正社員は違う、学生と会社員は違うと言っている社会人の大半はこの不自由さを逆手に取って学生にマウントを取ってきます。
学生はそんな言葉は無視していいです。
だって嫌でも実感するので。
逆に大切なのは社会人になったから人生のモラトリアムは終わったと思わずに、自分の人生をどう良くしていくかということを考え、実行していくことです。
そのためには別のところでも書いていますが自分を幸せにするのは何かということを考えるべきだし、すぐに分からなければ何度も考えるべきです。
例えば今上京して学生している人が実は地元の友だちと一緒にいるときが一番幸せなら地元で働く方法を探すべきだし、仕事で成り上がりたいなら少なくとも東京にはいたほうが良いでしょう。
私が今、過去にもっと言えば学生に戻りたいと思わないのは、学生時代が楽しくなかったからではなく、まだ満足していませんが自分の人生を自分で動かすことを意識して少しずつ行動できているということが大きいと思います。
なぜベンチャー企業は入社と言わないのか
1ヶ月ほど前に日系大手企業からベンチャー企業に転職しましたが、転職前からベンチャー企業でよく聞くある言葉についてずっと疑問がありました。
それは「ジョインする」という言葉です。
入社で良くね?という率直な感想をもっていました。
電車の中でぼーっとしてたらなんとなくこのことについて何故か考えてみようという気になったのでこの言葉を使う理由を考察します。
まず、ジョインという英語は日本語に訳すと皆さん御存知の通り「参加する」になります。
英語で入社はJoined the companyあるいはEntry to a companyになります。
なので入社をジョインするというのは決して間違っているわけではないと思います。
でもここを整理してもまだ私の心の中では入社でよくね?という気持ちは消えませんでした。
現時点での私の見解ですが、ベンチャー企業と日系大手企業の置かれている状況の違いがこの言葉の違いになっていると思います。
ベンチャー企業というのは入社してみて実感しましたが、基本的に会社ではあるものの一つのプロジェクトを成功させることを目的としています。
また、そのプロジェクトは今の世の中で浸透しきっていないあるいは全く浸透していない事柄を扱うことが多く、まさに今世の中を変えようとする動きになります。
一方日系大企業(特に斜陽産業)は存続が目的です。
成熟している市場で同じ客に5年単位くらいで自社製品を入れ替えて利用し続けてもらい従業員とその家族を守るのが大企業の目的となっている事が多いです。
少なくとも私のいた会社はそんな感じでした。
だから世の中に変化なんてしてほしくないし、本音で言えば10〜15年前くらいでテクノロジーの発展が止まっていてくれたほうが私がいた会社にとっては都合が良かったと思います。
ベンチャー企業はプロジェクトの成功を目的とした集団、大企業は身内を守るための集落と考えればそこに加入する言葉が変わってきても違和感はないです。
あるプロジェクトに参加するので文字通り「join」になるでしょうし、逆に集落に新しく入れてもらうのであれば「入社」になるのでしょう。
逆にベンチャー企業に入社というと自分から動かない社員感も少なからず感じますし、大企業に参加する(ジョインする)というと何か違和感があります。
ジョイン、入社という言葉の一つですが、そこでも大企業とベンチャー企業で違いがわかると思いますので参考になれば幸いです。
飲みニケーションについて考えてみた
昨年の年末にある記事を見て気になりました。
“飲みニケーション”はもう古い?「不要派」6割で初めて多数派に…会社の飲み会が今後どうなるか聞いた
職場の飲み会は特に新入社員とか若手が嫌だと感じている思います。
自分が新入社員の時も職場の飲み会は嫌でした。
何が嫌かといえば飲み会でもほとんど仕事の話で面白くなかったのです。
また、上司の昔話もつまらなかったというのもあります。
おまけに自分の知らない用語を聞かれて知らないと答えると「そんなことも知らないのか」と言われ、「てめぇは新入社員のときに知ってたのかよ」と殺意が湧いた記憶もあります。
ただ、自分が若手の頃つまらなかったと言いながらそれでも1つ言いたいのは楽しめるほど仕事のこと、職場のこと、上司のことをわかっていないのでは?ということです。
例えば東京で働く人がどこかの地方都市に行ってずっと地元の人間関係の中で生きているマイルドヤンキーの飲み会に参加するのは嫌でしょう。
仮に同い年でも嫌だと思います。
何故かと言えば相手のこと、その集団の暗黙の了解を知らないからです。
逆に知れば嫌な気持ちは無くなるはずだと思います。
職場の飲み会で言えば、例えば2時間ずっと仕事の話であったとしても自分が仕事を毎日こなしてある程度時間が経てばわかるようになってそこまで嫌ではなくなると思います。
それは環境に適応するとも言えるのでしょうか?
また現実的なことを言えば会社の人と一切飲みに行かない食事に行かない人で偉くなる人仕事ができる人をほとんど見たことがないです。
もちろん誰とでも行けと言う訳では無いです。
嫌な人の場合は一度行って辞めればいいし、強制してくる上司、人間は無能だと思います。
偉そうに話していますが私も最初の上司と飲みに行くのが嫌ではなくなるのに2年近くかかりました。
でも最初からそこまで嫌な人でない場合もあるし、上司が変わって楽しく会話できる人かもしれないです。
ただ、一つだけ気をつけたほうが良いのは楽しい会話でも特定の人の悪口で楽しんでいる飲み会に入りすぎないようにしたほうが良いということです。
上記の最初の上司は仕事はできる人で2年ほどして私も一緒に飲みに行くのが嫌ではなくなったし、色んな昔話、教訓になる話もありましたが、その人は直属の上司や所属している組織を下に見て馬鹿にする傾向がありました。
もちろん私がその話をリークしたわけではないですが、どこかでそういう感情がにじみ出ているのか私が若い頃はその世代の中でも出世している方だったのに8年経ってもまだ課長で良くて部長止まりとなりそうです。
若手社員はおそらくコロナの影響もあって職場の飲み会というものをまだ経験していないかもしれませんが、まずは損をする覚悟で一度心をひらいてみるのも良いかもしれません。